ベランダで蝉が死んでいたレポート

ある日、タバコを吸おうと部屋の窓を開けたらに蝉の死体が落ちていた。灰皿が置いてある室外機の手前側にいた。虫が嫌いな私は本当に気持ち悪くて窓を閉めようとしたけれど、タバコを吸いたかったため、死体だからいいや、と思いそのままタバコに火をつけた。今の季節に対して蝉が死ぬにはまだ早いなと思った。蝉の体は普通の成虫に比べて少し小さかった気がした。羽を上に向けたうつ伏せの状態で死んでいた。私は虫が嫌いなのにふと、羽だけ食べたら美味しそうだなと思った。

次の日またタバコを吸おうと思って窓を開けた。室外機の手前にまだ蝉はいた。そりゃ突風が吹いたわけでもないし私が触って動かしたわけでもないからいるのは当たり前だった。その小さい体を見つめながら、なんで死んでんだろう、しかもここで、などと思いながら、吸うタバコのタールの度数を1度あげたことを後悔しつつ、煙を肺まで奥深く入れた。

そのまた次の日、タバコを吸おうと窓を開けたら蝉の死体はやっぱりいた。当たり前だけどやっぱり虫は気持ち悪くて、でも気にせずタバコを吸っていた。心なしか最初に見つけた時よりも体が小さくなっていた気がした。カラカラに乾ききった蝉の体から水分を感じることはなかった。本当に小さくなっていた。

久しぶりに仕事に行った。いつもと変わりなく後輩の悪口を適当に聞き流し適当に客を流れさせ適当に荷物を運んだ。いつも通りすぎてなんのストレスも感じなければなんのストレスも発散できなかった。

毎日酒を飲んでしまっていることに気づいた。酒に酔っている最中だけは現実に起こっているすべての嫌なことを忘れることができた。こうやってアル中は出来上がっていくのだろうと思った。依存する前に止めたいと思った。依存してるのは酒だけじゃないし、今すぐ止めたいと思った。

最初に蝉を見つけた日から3日が経った。とうとう蝉の姿が5cm程度になっていた。私は生物のことはあまり詳しくないけれど、蝉は日に日に体の大きさが小さくなっていってたことだけはこの目で見る限り確実だった。何故かはわからないけれど蝉はこれからもっと小さくなるのだろうと思った。死んだら存在なんてないのに、そこには死んでいる蝉が存在していた。私の頭の中だけの話かもしれないが、それは蝉の死体ではなく、ただ「生きていない蝉」だった。

生きてるだけで絶望感や喪失感、悲しみや虚しさなどから離れられないため、手首を切ろうとした。手首は切れなかった。ムカつくやつを殺そうとした。殺せなかった。ムカつくやつの持ち物を壊そうとした。壊せなかった。自分の体を自分で傷つけることができなくなっていた自分に驚いた。遠い昔の若い頃、よく手首の皮が剥がれていたけれど、今見てみたらその痕もいつのまにかなくなっていた。

今日もまた蝉はいた。うるさい音の室外機のノイズで蝉の体は揺れていた。

7日で自然に死ねるのなら、楽になれるなら、私もそうなりたいと思った。