よだれがたくさん出る時は吐く時の前兆

辛い時頼れる人も相談する人もいない私は唯一理解してほしい人への理解される為の努力しかできない。自分のことを理解してもらうためにする努力なんてしないほうがいいしどれだけ説明しても理解してもらえなかったらそれで終わりだ。だから努力なんて無駄でしかないし結局自分も相手もわかりあえないまま傷つけあうだけだ。

そんなことがどうしてももどかしくて怒りに満ち溢れてる時は泣いてもいいのかもしれないけど泣いたってどうにもならないしめちゃくちゃに暴れても自分を傷つけても何もならないことがわかるから、結局どうすればいいのかわからずただただ身を引くしかない。それからじっと感情を押し殺してやり場のない怒りや悲しみは溜まったまま、また次の日も同じようにそういう感情が生まれて発散できないまま日常を過ごす。どうやったらなくなるのか考えてみても実践してみても根元にあるどうしようもない感情はずっと残っている。上辺だけが解消されても根の部分はずっと残っている。それがなくなるまではまた同じようなことを繰り返すだけだとわかっている。

数年前、私に同居人がいた頃、とんでもなく怒りや悲しみに満ち溢れてて泣き崩れて暴れて部屋をめちゃくちゃにした時、同居人は仕事だったけど電話をした。どうしようもなくて誰かに助けてもらいたかった。同居人はわざわざ仕事を抜け出して家まで来てくれた。雨の中バイクで来た同居人は濡れたカッパを脱がずに部屋の散乱した物の上で横になりながら泣き続けていた私の元へすぐに駆けつけた。私は体を支えられながら言葉にならない言葉を喋り続けて、向こうはよくわからないまま私を撫で続けて、もう少しで終わるから待ってて、とだけ言って、すぐに仕事に戻っていった。

そんなことを思い出した。今が、その時と同じ感情だった。だけどその時みたいに救ってくれる人もいないし、ただただ抱え込んだまま誰かへの殺意を永遠に持ち続けているだけだ。

時間の問題だとかすぐに言うやつは時間にしか縋り付けない愚かな人なだけだし、私の辛さがわからないならそんな適当な言葉を言うよりは早く殺してほしい。私がいなければ周りだってうまくいっていたし、あの人だって私に出会わなければあんなに辛い思いもしていなかっただろうし、今私が辛いのだって元から無かったと思う。私が今まで間違ってきた行動の選択肢はいつになっても正されないまま、正しい方の選び方もわからないまま馬鹿みたいに間違いを選んで突き進んでいっているんだ。過去も今もこれからも間違いを選び続けて後悔して苦しんで、辛い現状がずっと続いたままあの時の幸福感だって2度と味わえないまま生涯を終える。

私が欲しいのはいつだって、あの時幸福感を与えてくれた人たちじゃなくて、あの時の幸福感だけなんだ。錯覚して幸福感を得られた時にそばにいた人のことを欲しがるんだろうけど、本当に欲しかったのは人じゃなくてただの私の記憶の中の感情だけだ。いつまでもそれに縋り付いて、選択肢を間違う前に戻りたい、正しい方を選んでいれば今もこうやって苦しんでいない、と思っている。

誰も助けてくれないなら自分から死ににいけばいいとも思うし、唯一の救いがそれしかないのだから誰も怒れないし誰も悲しんだりできない。もし私がその救いを選んだとして誰かが怒ったらそれは間違っている。誰かが悲しんだらそれは間違っている。私にそういう選択をさせたのはお前らだから怒るのも悲しむのも間違っている。そんなのふざけている。死なれたくないならあの時救っていればよかった話だし、自己責任だって言われても絶対に違う。自分のせいで自分が間違っていたから死んだだけだと思われても、結局は私が誰にも出会わず1人で生きていたらそういう道からは外れていたと思う。

私がどんな風になってもなんとも思わないのが正解だから、死んでも誰にも伝えないしお葬式には誰もこないよ。楽に突然いなくなれたらどんなにいいだろう。価値がない人間でもう必要のない人間というのはわかっているから、どうか私に対してどうでもいい感情しか抱かないでいてくれ。