幼稚園児の握力で壊れるほどの泥団子

もう俺はダメなんだ。心も体も枯れてるし精神は水少なめに作った泥団子なんだよ。ちょっと触っただけで壊れるんだよ。もろいんだよ。幼稚園児の握力ごときで壊れるぐらいなんだよ。カラカラでサラサラに落ちてゆくんだよ。指の間から。かろうじて生き残った水気の含まった塊も幼稚園児に潰されるほど踏み潰されて結局私はお城よりトンネルより泥団子がお似合いでボロボロこぼれていく。砂場から外される。そのうち誰かの瞬足の裏の溝にハマって外の水道でママにゴシゴシ洗われて下水道まっしぐら、プカプカ浮かんで最終的には溶けていく。それで私の人生おしまいや。おしまいや。

もうお前らとは会わん、嫌いやからね。

俺はどうしようもないやつや。どうしようもないクズや。それだけや。死ぬかもしれんけど、死なんからな

嬉しくて嬉しくてとてもやりきれない

私の気持ちを理解する人間だけが私にとって有益であってその他はクソ。全員死んでよし。それだけでよかったんだよ。ただそれだけでよかったからそれだけがないから私は泣いてしまいそうなんだよ。私の願いは一生叶わないのよ。なんだ、幸せって案外得るのが難しい。でもやっと得た幸せもすぐに消えてしまうしそれがほんとに一瞬すぎて。それだけでいいからたまにお喋りしてどこかへ行って門限までに帰るみたいな時間がすごく大切だったのかもね。ほんとに大切だよ。それは一瞬だから。

人間怖い。君以外の人間怖いからいらない。君以外なにもいらないよ〜って古くさいバンドが歌ってたね、あれ私最近好きじゃない。昔は好きだったけどね。

お泊まり会

あんまり覚えてないけれど、私がまだ17才か18才の頃にね、お泊まり会したんだけどさ、ある女の子の家に泊まって、私含め女子3人で夜にお酒を飲みまくってたんだけど、私は飲み過ぎてゲロ吐いて記憶なくして気づけば朝で、Tシャツは見覚えのないもの着てるし、寝ていた枕元にはバスタオルが何枚も敷かれていて、おはよって言って顔見たらみんなめちゃ笑顔で「…吐いてたよ」って言ってて、その子昨日さんざん飲んだのに朝から梅酒つぎやがって、え、朝から梅酒飲むん?朝やで?朝っていうか起きたの夕方やから朝ではないけど、昨日めちゃ飲んだのに寝起きにまた梅酒飲むん?しかもロック?ってなってそんなことを今久々に梅酒飲みながら思い出したんですよね。1人で。あの子寝起きに梅酒飲むって、すごかったなあ。やっぱあの子変やわ。とか思いながら。

そんな友達もどこかいってしまって、どこにいったかはわからないけれど私の知らないどこかへいっちゃったんだよ、知らないよ。

わたしみんなのことすきだったなあ。でもどっかいくんだもんな、みんな。わかってたけど、さみしいよね。どこにいったんだろう。教えてくれなくていいけど。

とりあえず今みんなのこと大好きすぎるからそれは伝えさせてほしい。意味わかんないけど。すきなんだよ。みんな。わたしだけ、きらいなの。きらい。わたしのことわたしだけきらい!みんなすき!

それだけ、たぶん。

でもすきな人のことどうでもよくなって気持ち軽くなって人生結構うまくいくもんだなあとか思って、すきな人がすきな人じゃなくなる瞬間て、結構つらくないんだな、って知って、すきな人っていうカテゴリーに埋められるのって可哀想だなって思いました。埋めててごめんなさい。これからはなににも埋めません。でもほんとよかった。私は強い。生きていける。なんにもなくても空っぽでもいきていけるし、うまくいかなくても生きていける。今日仕事であんまりうまくいかなくてちょっとダメだなあとか思ってたけど案外みんな優しいしそんなのどうでもよくなるぐらい嬉しいことあるしいいや。神様は味方だよね。こういう時だけさ。都合いいね、いいよね、いいね、いいと思う。ありがとう。

人間とのコミュニケーション、私はものすごく下手なんだけど、どうやったらうまくなるの?みんなほんとにすごい。私は相手に興味があればあるほどコミュニケーションがとりにくくなる。下手になる。なんでだ〜よくわからんけど相手が発する言葉に、なんでこの言葉なのかな?とかこの質問にはこういう答えが聞きたくて言ってるのかな?とかいろいろ考えて結局答えになってないとか言いたいこと伝わってないとかなるから厄介だよな、人間怖いよ。素を出せる人がいつか見つけられたらいいね。私が素を出せるのはお母さんしかいないよ今のところ。頼むよ。

 

マジみんな愛してるから

シコって寝ろ

 

プレミアム仕事サボりデー

みんなが退社しているであろう15時頃、私は寝起きの目をこすりながらミヤネ屋を見ていた。体調の悪さを抱えながら死にたさのピークを迎えていた。毎日死にたいと思うしその小さな死にたさが毎日どんどん積もりに積もって限界がきたのが今日。そうなってしまえばもう何もできなくなってどこにもいけなくなって生きている人間とは思えないほどなんにもしなくなる。でもとりあえず仕事は休んで部屋を片付けてだいぶ前にamazonから届いていたパソコンテーブルを組み立てる。新品家具の独特の匂いで具合が悪くなり、本当に今までの人生なんだったんだろう、とか考えたり、このまま家にいて寝転んでいてもなーんにもならないのに、なーんにもしようとしない自分が嫌になって泣きだす。知るか。私がどうであれお前らはどうせ生きてるんだろ?心配したって助けたって救ったって、どうせお前らは明日も明後日も10年後も幸せに生きてるんだろ。不幸なんて知らない顔して。私の今を、知らない顔して。そんなことはどうでもいいし私がいなくてもなんとかなる世の中だしむしろ生きてても死んでても迷惑がかかるこんな人種に生まれてほんとにごめんなさいって思うよ。

愛されたいし触れ合いたい、動物かよ、って感じだけど、触れ合いたいんだよ。撫でられたい。愛でられたい。女であることにも嫌気がさすし、そういう「性」であることでそれを区別するのってめっちゃ便利だよね。ちょっと演技すればホイホイばかみてえなのが寄ってくるのも意外と疲れるしかといって自分はそんなホイホイな女になってるのもクソみたいでほんと泣きそう。クソだぞまじで。うんこ以下だわ。嫌い。自分が嫌いで嫌いでたまらない。たまらなさすぎて死にそう。こんな嫌いな自分のこと好いてる人はほんと頭おかしい。でも私はなんだかんだでこう言ってはいるもののナルシストなので自分のこと好きじゃない人は嫌いだし自分が大好きな人間なんだよたぶん。みんな私のこと好きになれ、いや、みんなは嫌だけど私が認める一部の人間だけは私のこと好きでいて、さらに撫でろ。好きだよみんな。(一部)だから私、認められたい。理解されたい。人間と私がわかりあえる日なんてこないけど、なるべく3割ぐらいはわかってほしいよ。

とりあえず全部にむかつくし私がこんなに死にたくなる要因を作ったあいつらを殺したいし、もうなんでもいいや、どうでもいいから、今日はすっげー高い肉買って焼いて食います。

実家は日曜日、1人で月曜日殺し

遠出をした帰り、一睡もせずに車を運転してそのまま久々に実家に帰って、いつのまにか午後13時、新喜劇見ながら1人掛けのニトリのソファで膝抱えて丸くなってうとうとする。人気のない昼間の静かな住宅街のど真ん中で、薄いカーテンの向こうから射してくる太陽の熱さに起こされ、目をこすりレンタカーを返す時間なのですたこらさっさとエンジンをかけにいけばそこでバッテリーがあがっていることに気づき、原因がガソリンを切っても前照灯をつけっぱなしにしていたことだということに気づき、さらに低速ギアで高速をビュンビュン走りまくっていたせいでエンジンが異常事態。レッカー移動のハメになる。さらに車体を擦っていたせいでしかもそれを警察に届けなかったせいで(擦った程度で呼ぶとか意味わかんなくね?って思ってる)きっちり営業保証金(?)みたいなやつを2万円ぶんどられる。生活が死ぬ予定はバッチリ。(誰か今月だけでも養わない?)

それから一旦自分の家に帰り、大量の荷物を置いて、腹が異常に減っているのと栄養失調気味なことに気づいたのと同時にこの家にまともに食えるものがないことに気づく。賞味期限切れのコンビニのおにぎりとプリンを掻きこむ。そういえば昨日も今日も口にしたものがコンビニのおにぎりとお酒しかないことに気づく。いろんなことに気づきすぎなことに気づく。

今日はなんだか人といないことが寂しかったので自分の家を出て実家に戻りお母さんがパートから帰ってきていたのでお喋りしてこの時点で18時。父親がデッカい保冷ケースにデッカい魚をどちゃくそと釣ってきていてそれの処理をしているダイニングは生臭さが充満、テレビでは宮川大輔がめちゃくちゃ大げさに「うまーーーーーい!!」とか叫んでやがるから父親には魚を食わせ、お母さんと外食に出かけた。人とごはんを食べることがめちゃくちゃ苦手だったけどあんなに嫌いであった家族とでさえも一緒に食べれば幸せだったので、こういうのいいな、って思ってもっと人間と関わろうと思った。これからは。一人暮らしの魔法にかかっているので、たったこれだけで幸福感味わえる。魔法の解き方安い。

人は暖かい。いろんな意味で。それがすごくよくて、とにかくよくて、人に体温という機能が存在していて感謝だし、心という機能もあってくれて感謝。何を言ってるかわからないかもしれないけれど、私は人間が一番大っ嫌いで大好きで愛してる。みんな。

余韻は残さず嫌でもやってくる。残してる暇もないぐらい。「月曜日なんて死ねばいいのにね」って好きなバンドが歌ってた。その通りだから、なるべく余韻に浸って、嬉しいことをたくさん思い出して、辛いこともなるべく脳から排除して、生きていられればそれでいいからさ、生きていてくれるだけでもいいからさ、って願いながら今日も私何かを殺してる。

頭が痛い

頭が痛い。ベッドに寝転がってからなんだかずっと頭が痛くて放っておいたらいつのまにか涙が出てきて、ああ、そんなに痛かったのか?自分。となったけれど涙が出るのはそんなことではなくてどんなことなのかというとどんなことでもなくてなんのことかわからない。何か名前のある感情ではなくてあーーうーあーーーーって感じだしこのままどこかに消えていって蒸発してみんなの頭部に突き刺さる雨粒になりたいと考えていたらますます頭は痛くなっていって明日はきっと雨だろうなと思って低気圧って残酷だな私の頭の痛さに天気予報を頼るなんてとか思って何もかも忘れて消してリライトしてくだらないッチョゲンソーワスーレッラッソッザッカッヲーなわけで私は私で特に周りはなくてみんなはいなくて消えろとか思わなくて私が私に消えろって感じで涙が出てきて例えば今君が私とお酒を飲んでいたら私は私らはきっとガッキーと星野源になれるとか言い出してハグの練習をし始めるんだよ慣れない手つきで頭を撫でたりゆっくり手を握ってゆっくりキスするんだみたいなことを考えて考えただけでそんなゆるふわ幸福モードなんて選択できない人生で首絞めセックスで本当に首圧迫して死ぬぐらいでちょうどいい気がしてきたんだけどそんなことより私が今なぜ文を書きたい気分になったのかというとそれはわからないけどとにかく私は今叫んで壊して走り回りたくて何かを壊したくて何かはわからないけれど今日はとにかく周りのものを何もかも壊したくなったたまにあるこういうのはだけど今回は何も壊さずに我慢したし我慢したのは偉いから褒めていい褒めろ許せないことが多すぎてもう生きるのに疲れちゃった涙止まらなかったよわたしいまも疲れてるの止まらないんだよきっといつまでもこんな思想に縛られて好きに生きれるはずないから過去に戻れるはずないから今日も一人でベッドの上で見てもないテレビつけて聞いてもない音楽かけて真顔でゲームしながらいつのまにか涙が出ててまたこうやって文にできない感情を文に無理やりしているんだよ

お前らはすでに死んでいる

お前らは生きているけれど死んでいる。全員私が殺した。でもお前らは生きていて、死んではいない。全員が邪魔で鬱陶しくて私の人生に必要ないと思ったから殺した。今私は誰もいない世界で1人で生きている。周りを見ても誰もいない、耳を澄ましても何も聞こえてこない。そんな世界で暮らしている。すると楽になる。今私は安全で安心な暮らしをしている。生活が怖いくらいに上手くいって、何もかもをこなすことができている。でもふと集中力が切れて何もかも嫌になるときもある。またお前らが戻ってきたと思って怖くなる。その度に何度も殺す。いなくなればいいのにいつまでもいなくならない。お前らを消さないと私は生活できないのだ。

お金を使った。給料日がきた安心からかわからないけど、クレジットカードでめちゃくちゃに欲しいものを買いまくった。何も気にせずに、支払える保証もないくせに。とても欲しいと思った洋服と読みたいと思った本を買った。ゲームも買った。しかしそれを手に入れたって何も得られた感覚はなくて、手に入ったという感覚はあまりなかった。私は何が欲しかったのかわからなくなってもっともっとお金が欲しいと思った。お金を使わなきゃと思った。でも何に使えばいいかもわからなければこれ以上何かに使ってしまっては払えなくなるという制御が働いた。自分にしては珍しかった。

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買った本にこう書いてあった。私はお金をもらえるような価値の人間ではないし、こうやって本を読んで興奮したり共感したり感動したりするのも、いけないことなんじゃないかと思ってしまう。私みたいな人にこんな良いものとされる感情を抱いていいのか、と不安になって怖くなる。でもこうやって良いものとされる感情を自分の中に生み出してないとまともに感情すら持てないし、人に対して好意や敬意も持てない。自分にすら自信もない上に毎日地球上の全他人に対して死ねと思っている自分なので、これは必要だと思って、素直に受け入れた。いい感情が続くように自分でそのいい状態をコントロールをした。

自分のことや思っていることを細かく伝えたいけど、伝えるための言葉が思いつかなかったり、文章をうまく作れなかったが、今はできるようになっていて、少しびっくりした。昔の勉強に慣れていて頭の回転が今と違って早かった学生時代みたいに、すらすらと文章が出てきて、なおかつ自分の伝えたいことなどをこういう風に文に起こすことができている。それに驚いていて、少し嬉しいという感情があった。

死にたいと思うことは減った。でも他人に対しての憎しみはやっぱりまだ消えない。なんで自分はこんなにクズなのに(根拠はない)他人に対してイライラしたり不必要とか邪魔だとか思ったりしてるんだろう。偉そうになんなんだ、ならお前(自分)が死ねよ。と思ってしまう。でもやっぱり他人がめちゃくちゃに嫌いで嫌な存在で、なるべくなら関わりたくないと思っている。でも人に愛されたいという気持ちだけは微かに残っていて、愛がないまま私は暮らしてはいけないと思っている。今はまさに愛がない状態でなにもかも満たされないまま我慢を繰り返して自分なんか愛がないのが当たり前だと言い聞かせてなんとか普通の生活を保っている。でもそれが限界に達したとき、今うまくいっていることのすべてをうまくできなくなって、いずれすべてが停止してしまって、また死にたくなって生きたくなくなるんだ、と少し不安に思う。そう思うことが「少し」なだけで自分は昔より成長してるなと思った。

ある特定の人のことを1日に数回は考えて、数回は嫌いになって、数回はめちゃくちゃに大好きになる。ボーダーなのかもしれない。この考える行為が毎日とても耐えられない。考えないようにしたいと思っていても絶対に無理になるし、時間の問題だと言い聞かせても、結局はこういうある特定の人のことを考える行為を3年ぐらいは続けている気がする。もはやこれは時間の問題ではないのだと気づいている。もしかしたら時間の問題だったとしても、もっと時間が経てばなくなるかもしれないと信じている。なるべくなら信じ続けるより早く消し去りたいので、病院に行くか薬を飲むかしたいが、それで治るわけもないとも思っている。だから今はそういう考えてしまうような時間がきたら、他のことを考えるか、飽きるまで考え続ける。飽きたら勝ちだ。このせいで他のことにも集中できなくてとても苦しい。文章は読めないし頭からポロポロ抜けていく。集中ができない。できたとしても持続しない。だから今こうやって文章を書けている自分が最高に嬉しい。ありがとう自分。

昔はやるべきことが多すぎることにイライラして、すべてを投げ出したくなっていた。あれもしなきゃこれもしなきゃ、でも全部してしまうと壊れてしまう、でも全部しなきゃいけない。もういやだ。となっていた。でも今はやるべきことが多すぎることが嬉しい。すべてを完璧とまではいかずとも、少しずつこなせている自分がとても嬉しい。嬉しい気分になったのは4年ぶりぐらいだった。ずっと自分に肯定感がなくて、自分という個体が褒められることもなく、愛されることもなく、自分自身でさえも否定を続けて、見下して、どうせ何もできないと思って諦めていた。でもすべてを少しずつこなせていて、なおかつ人に必要とされている喜びがきちんと素直に受け取れるようになっていた。そのこと自体に喜びを感じた。喜びを感じられている自分に喜びを感じれていた。私は強くなった。いや、きっと強くなったのではなく、弱い部分を隠すことができるようになっただけだ。さみしいや愛されたいや人と触れ合いたいなどという欲求が昔はあった。今もあるけれど、人生にそれが必要と思い込むことをやめたら、楽になった。その欲求を満たさなければ生きていけないと思っていたのが、その欲求を満たさなくても、自分の欲求を我慢して、消し去れば他のことを必要だと思えるようになるから、と思ってなるべく我慢をした。いらないものを排除した。そうしてみると私は楽に過ごせて、ストレスもあまり感じなくなっていた。相変わらず街を歩けば私は他人に対して絶対にうるさいだまれ死ねなどと思う。でも昔は街を歩けば、自分がブスのくせに街を歩くななどと他人に思われていると思っていた。けれど今は自分が一番で他人は私にとって邪魔でしかない。という考えにまでたどり着けた。もちろん良くはない考えだけど、自分を肯定できることが素晴らしいと思えるから、あからさまに他人に影響が出ないまでなら、まあいっか、と思っている。自分を否定して自分を見下して価値を下げて、ということはよくないと思った。でもやっぱり自分を否定することはこの先もあるだろうから、私は自分と他人の悪口を気分によって交互に言ってしまっているんだろうと思った。別にそれでもいいやと思えた。まあいいやと思える、「気にしない」ということをきちんとできている、それだけで私は楽になった。自分に対してすごいと思った。自分は偉いと思った。頑張っていると思った。頑張ってないと思われても関係ないし私はとても頑張っている。もし否定する人がいたら、許さない。だって私のことを否定していいのは私だけだから。

好きなことができているかと聞かれたら、そうではないかもしれない。でも好きなことをするためにやるべきことが多くあるから、まずはそれをこなして、頑張って進めて、それからそれが達成した後に思いっきり自分のやりたいこと、好きなことをしようと思っている。それがずっと遠い話でも、私はその遠い日まで、絶対に頑張ると決めた。私を応援する人はいない。でも私が私を応援していると思っている。誰も応援してくれないなら自分でするし、誰も自分を肯定してくれないなら自分でする。誰も好きになってくれないなら自分で好きになる。大事にする。理解されないなら理解する。自分で自分を理解して、それからできることだけを精一杯やって、好きなことに向けて頑張ることがこんなに楽だとは思わなかった。いや、好きなことに向けて頑張ることが楽だと思える自分になれたのがまずすごいことだと思った。気づいた。ファンモンの歌詞みたいになってきたからここら辺で終わるけど、鬱病なのは変わらないって覚えておいてほしい。鬱状態は1日に1回以上は必ず来る。でも私はそれさえも取っ払えるように普通の生活を普通にできている。と思っている。不安しかなくても私は絶対にお前らに見せつけてやるし、幸せな姿を全世界に発信してやろうと思っている。私が絶対に成功して、私が絶対に喜ぶ。私が絶対に絶対にお前らなんかに左右されない人生を送ってやる。と決めた。死ね。私はお前らが憎い。絶対に私はずっと私でいる。私が私であることが絶対に正解だってことを今に見てろよ。糞してら寝ろや。黙れ。糞みたいな糞でいろ。

うんこ人間死んじまえ。